今日、衝撃と感動を覚えるブログを読んだ。
それは、坂爪圭吾さんが書いている
いばや通信
の記事だ。
坂爪さんは、家や定職を持たず、「人とのつながりだけで人間は生きていくことができるのか?」という実験的な生活をしている人である。
彼の発する言葉、生き方は目から鱗で、尊敬と憧れをおぼえる。
現代社会は資本主義が生き詰まり、多くの人が生きづらさを抱えているのではないだろうか。
これからの社会は、競争社会から共生社会へと移行すべき、いや、してほしいと心から願っている。
坂詰さんのような新しい物語を紡ぐ人が増えれば、ともに助け合って生きる共生社会の実現が夢でなくなるだろう。
その坂爪さんのもとへ、ある若者が勇気を振り絞りメールを送った。
以下、坂爪さんから許可をもらったので全文を引用する。
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以下引用
2015年最大の喜びに触れることが出来た。素晴らしい出会いは人生を肯定する。「生きていて良かった」と思える瞬間の中には、今までのすべてがまるごと報われるような喜びが内包されている。私のブログを読んでくれている男性から、私のもとに連絡が届いた。男性からのメールには、このようなことが書かれていた。
私は今24歳で、現在所謂ニート状態です。父親の方針で学校に行かせてもらえず、かといって家庭内で教育を受けた記憶はありません。13歳頃まで静岡県に住んでいて、父親が逮捕されたことをきっかけに千葉県に引っ越してきました。執行猶予の判決を受け、拘置所から戻ってきた父親は以前にも増しておかしくなり、15歳の夏に母親と弟と共に逃げ出すまで、酷い虐待をされる生活が続きました。
私のもとには、不登校を続ける人や引きこもりの人達、闘病生活を送る人や身近な人間を失った悲しみを抱えている人達などから、今でも定期的に連絡が届く。そのすべてに返信をすることは出来ていないが、この男性からのメールには「何か強烈に惹きつけられる力」を感じた。男性のメールは更に続く。
今なお傷を引きずっているのか、自分でもわかりません。しかし私の目には社会は厳しく映ってしまい、今まで働いたことはほんの僅かです。それでも憂鬱をくぐり抜けながら、何とか今まで生きています。インターネットや本を通じて、いろいろな文章を読んできたつもりですが、坂爪さんの言葉にほど惚れたことはありませんでした。まるで太陽のような希望です。お礼を言わせてください。本当にありがとうございます。言葉の中に世界があって、そこには自分の居場所もありました。
少しでも人生が変わる可能性があるなら、私は傷ついてもいいと思えました。ぶつからせてください。坂爪さんの手助けになるようなことがあれば、私に何かやらせてください。お金も能力もありませんし、大変ぶしつけなのはわかっています。お力になれる時がありましたら、ご連絡をください。よろしくお願いします。 電話番号 080-××××-×××× メールアドレス ×××××@××××
私にこのメールが届いたのが1月16日(金)の14時30分で、私がこのメールを確認したのが同じ日の15時を過ぎた頃だった。自分の言葉で書かれている、素晴らしい文章だと思った。「ぶつからせてください」と本気の思いで伝えてくれる彼に対して、「自分もしっかりと応えたい」と強く思った私は、記載されている電話番号に電話をかけた。この男性は電話に出てくれた。私は要件を伝えた。
「メールを読みました。突然ですが、今夜は時間はありますか?今日の夜から、東京の駒沢大学駅近くの会場で、私が出演するイベントがあります。もし良かったら、交通費や参加費などは私が負担するので、実際にお会いして(メールだけでは分からないので)話が出来たら嬉しいです」
この男性は了承してくれた。そして、駒沢大学駅前で初対面を果たした私達は、しばし二人で歩きながらイベント会場に向かった。男性の態度も語り口調も非常に柔和なものであり、まるで小沢健二のような優しい表情をしていた。道すがら、私たちは様々な話を交わした。男性が話してくれる内容のひとつひとつが私には酷く衝撃的なものばかりで、私はぶっ飛びそうになってしまった。
坂爪「学校に行っていないっていうことは、国語とか、算数とか、そういう教育を何も受けていないってことだよね?日本語はどうやって覚えたの?」
男性「日本語は(二歳年下の)弟と話すことで覚えました。家にはテレビもあったので、テレビを見たり、(しかし教科書と呼べるものはないので)何となく漂う雰囲気から、それこそ何となく覚えました。今では日本語を読むことやメールを打つことは出来るようになったのですが、日本語を『書く』ことは出来ません。今でも、自分の名前と住所を書くことができる程度です」
坂爪「おおお…すげえ…(驚愕している)。今まで全然人と会うこともなかったのに、良く勇気を出して私に連絡をしようと思いましたね。どうして『私に会ってみたい』と思ったのですか?」
男性「それは、(メールにも書いた通り)坂爪さんが紡ぐ言葉の中に、自分の居場所を感じたからです。まるで太陽のような存在でした。そして、坂爪さんの文章を読んでいたら、いつしか『坂爪さんに連絡をしなければいけない』という衝動が自分の内側から湧いてくるのを感じるようになってきて、だけど、実際にメールを送るのは本当に勇気が必要なことでした。2~3時間をかけてメールを書き上げた後も、実際に『送信する』をクリックするまでに、しばらく時間がかかりました。正直に言えば『このまま送信するのをやめておこうか』とも思いました。しかし、坂爪さんが『傷つく前に傷つくな』と言っていたのを思い出しました。実際に傷つく前に、傷つくことを恐れて、何かを実行するのを恐れてはいけない。そのように自分自身に言い聞かせて、『傷つく前に傷つくな、傷つく前に傷つくな、返信が来なくても構わないじゃないか』と思って、勇気を出してメールを送りました」
このようなやりとりを交わしながら、私たちは駒沢大学近くで開催されたイベントに向かった。この時点で、私はすでに猛烈に感動していた。何に感動していたのかを、具体的に言葉にすることは難しい。この男性の存在自体に感動している自分もいるし、この男性が奮い立たせた勇気を実際に目の当たりにしたことで、自分の心が何か「強く感動している」ことだけは、強烈に感じることが出来ていた。
イベント会場に到着した。ここで私は、この日一番心が動かされる体験をした。この日のイベントの内容は、私(坂爪圭吾)を囲みながら集まったみんなでわいわい話すという、極めてゆるい雰囲気の会合だった。会場の入り口で「この男性は私の友達です」と受付の人間に紹介すると、受付の担当の人は、何も書かれていない一枚の紙切れを差し出しながら「ここにニックネームを書いてください」と言った。紙切れを見ながら戸惑っている男性を横目に、私はハッとした。
この男性にとって、ニックネームというものは存在しない。一切の学校教育を受けていないために、この男性には同級生と呼べる存在もいなければ、通常の意味での「友達」と呼べる人間もいない。受付担当の人は「みんなからはなんと呼ばれているのですか?」と尋ねてくれたが、「みんな」というものが、はじめから存在していないのだ。
そのシーンを垣間見た私は、その場で即座に「みっつ」というニックネームを男性に与えた。「よし!お前は今日からみっつね!『みっつ』って書きな!」と、私は威勢の良い声と共に命名した。みっつは「わかりました」と照れ笑いを浮かべながら、紙切れに大きく「ミッツ」と書いた。片仮名であれば、文字表を見ないでも日本語を書けるみっつは、一枚の紙切れに大きな文字で「ミッツ」と書いた。
続けざまに、受付担当の人は「もしよければ、一言自己紹介も書いてください」と言った。「自己紹介、ですか、、、」と言いながら、みっつは戸惑っていた。そりゃあそうだよね、と私は思った。今までの人生で自己紹介をする機会なんて無かっただろうから、自己紹介をしろと言われも何を書いたら良いのかわからないよねと思った私は、「こんなものは真剣に考えなくてもいいんだ。自分が好きなものでもなんでもいいから、適当に書けばいい。何か好きなものはある?」と尋ねた。すると、みっつは「好きなものならばあります」と言って、霧が晴れたような表情を浮かべながら、サッとペンを取り出して、ミッツと書かれた紙切れの隅っこの方に、小さな文字で『ファミリー』と書いた。
私は、何かもう、自分のボギャブラリーでは到底言葉にすることが出来ない強烈な感動を覚えてしまった。自分の感情を抑えながら「どうしてファミリーって書いたの?」と尋ねると、みっつは「好きなものと聞かれて、すぐに母と弟の顔が浮かびました。この二人がいなければ、私は絶対に生きていくことができませんでした。そのどちらが大事かを選ぶことは出来ないし、どちらも自分にとってはかけがえのない存在なので、ファミリーと書きました」と答えた。何の照れもなく、何の衒いもなく、真っ直ぐに「大切なものはファミリーです」と話すみっつを目の前に、私は思わず泣きそうになってしまった。
これほど純粋なものを見たことがない。みっつが「大切なものはファミリーです」と話す態度に、今までの人生に対する恨みや、学校に行かせてくれなかった父親に対する憎しみや、どうすることもできなかった環境に対する呪いのような感情は、何ひとつ含まれていないように私は感じた。ただただ純粋に「大切なものはファミリーです」と話すみっつを目の前に、私は静謐で強烈な感動を覚えてしまった。
本物の美しさや、本物の純粋さに触れると、自分の中から失われていた何かが再び蘇るような歓びを覚える。感動を覚えた対象にだけではなく、感動を覚えることが出来る自分の心の存在にも同時に感動している。「私の心はまだ死んでなんかいなかった」のだと、自分の生命が躍動するのを感じる。私はみっつと出会うことで、自分の心がどれだけ汚れていたのかを目の当たりにした。そして「純粋であるということ」は、それを目の当たりにした人間の感情を浄化する力があると痛感した。
これが、私とみっつの出会いの物語になる。
2015年2月6日(金)、私たちは東京の目黒区で再会した。私の友人宅で少数で開催された食事会にみっつを招き、私たちは一晩語り明かし、同じ部屋に雑魚寝をした。前回は聞けなかったみっつの生い立ちの話なども具体的に聞かせてもらったりして、再び私のアゴは外れた。何よりも衝撃的だったのは、病院に通う余裕がなかったみっつの母親は「自宅のトイレでみっつを出産した」という事実だった。「まじか…!」以外の言葉を口にすることが、私には何も出来なかった。
食事会は和やかに終了した。途中「みっつは何かやりたいことはあるの?」という話題になり、みっつは「とにかく外を見てみたい。行ったことがない場所ならば、何処でも見てみたい」と口にした。そこで決定した。現在の私は全国各地で開催されるトークセッションに招待され、非常に有り難いことに移動を続ける日々を送っている。「そこにみっつも同行するか!」ということになり、2月12日(木)から20日(金)にかけて、名古屋・関西・沖縄の日々を同行することになった。
私は「みっつが実際に体験した物語は、必ず誰かの気持ちを前向きにさせる力がある」と感じた。正直、このような話を何処までオープンにしていいものなのか、私は今の今まで迷い続ける日々を送っていた。しかし、みっつに「みっつの存在を多くの人に知ってもらいたいと思っているのだけれど、迷惑ではないか?」と尋ねたら、みっつは「書いてもらえればもらえるだけ嬉しいです」と言ってくれた。
2月12日(木)から20日(金)にかけて、みっつと行動を共にしています。私たちのスケジュールは下記のリンクを参照してもらえたら、すべてがわかるようになっています。私の連絡先も同時に記載してあるので、もしも「実際にあって話してみたい」と感じる方がいらっしゃれば、誰でもお気軽にご連絡ください。ただ、届いた連絡のすべてに返信をすることは出来ません。ご了承ください。
自分の中で決めたルールのひとつに「誰かを救おうとしない」というものがある。正義感や使命感は、「価値観の押し付け(暴力)」にもなる場合が頻繁にある。私は他人に何かを強制したり、他人が自分と同じであることを期待したいとは思わない。「誰かのため」ではなく「自分のため」に、自分がやりたくてやっていることが(結果として)誰かのためにもなったとしたら、それが最高な状態であると私は感じている。そして、本当の純粋さとは汚れた後から気付くのだろう。
人生は続く。
以上引用終わり。
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親の都合で学校に通わせてもらえない子供がいることは知っていたが、
小・中学校と義務教育を受けさせてもらえず、社会と隔離された当人のリアルな心の声を知ったのは初めてだった。
彼が生きていた24年間は、私の想像をはるかに超える壮絶な人生であったろう。
しかし、
「大切なものはファミリーです」
こう言い切る彼に、震えるような感動を覚え、一筋の希望を感じた。
おそらく、母親、弟との間には我々が忘れかけている強い絆、無償の愛があったのかもしれない。
家族とは、愛とは、教育とは、生きるとは…
いろいろ考えさせられた。
坂爪さんとみっつさんの今後の人生が楽しみだ。
おそらく、彼らの前には恐れを抱えた大人たちが「希望」を潰しにやってくるだろう。
私は彼らとともに、そんな大人たちと戦う同志でありたい。
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一筋の希望の光
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